水戸家庭裁判所 昭和50年(少ハ)4号 決定 1975年8月08日
少年 H・M(昭三〇・四・二一生)
主文
本院生を昭和五〇年八月九日から同五一年一月八日まで特別少年院に収容を継続する。
横浜保護観察所長は、環境に関し、とくに次の措置を行うこと
(1) 受入れ態勢及び家庭環境調整のための適切な措置
(2) 本院生に対する就職のあつせん
理由
本件申請理由は、昭和五〇年七月九日付久里浜少年院長作成の収容継続決定申請書記載のとおりであるが、その要旨は「本院生は、昭和四九年八月九日水戸家庭裁判所において、特別少年院送致の決定をうけ、同月一二日久里浜少年院に収容され、矯正教育をうけているものであるところ、同五〇年八月八日少年院法一一条一項但書による期間満了となるが、同年七月一六日一級上に進級したものの、資質の矯正がいまだ不十分であるのみならず、生来心臓疾患の身体的障害があり、通常の社会生活には支障がないけれども、そのため積極性、自主性に乏しく挫折感を抱きやすく、また家庭内の葛藤が人間関係に対する疎外感となつて定着し、内心を卒直にひらこうとしないなど不適応要因が認められるので、引続き収容を継続して出院準備教育を施す必要があり、かつ本人は前回中等少年院を仮退院後、間もなく再非行を犯し、前記のように特別少年院に収容されたものであり、出院後における受入れ態勢も不十分であるから、専門家による適切な指導助言を続ける保護観察が必要である。それ故、期間満了後も施設内処遇のため二か月間、保護観察期間として六か月間を含め、同五一年四月八日まで収容継続が必要であると思料し、本申請に及んだ。」というにある。
よつて、当裁判所は、一件記録、調査並びに審判の結果により次のとおり判断する。
一 本院生は、小学校五・六年生頃からぐ犯、触法(窃盗)行為を繰返えすようになり、中学校入学後も依然として非行を重ねるなど問題行動が目立ち、かくて同四四年六月ぐ犯、窃盗保護事件で救護院送致となり、そして引続きぐ犯、窃盗、鉄砲刀剣類所持等取締法違反などの非行を犯し、同年一二月初等少年院に送致され、同四六年一一月仮退院となつて、当時川崎市内に居住する実母の許に帰住し、自動車修理工となつたけれども、数か月程度稼働したのみでこれをやめ、またまた住居侵入、窃盗などの非行を犯し同四八年三月中等少年院送致の決定をうけ、神奈川少年院、関東医療少年院に収容され、同四九年五月仮退院となつて当時水戸市内に居住する実父の許に帰住したこと、しかしその数日後には再び窃盗、同未遂の非行を犯し、同年八月九日当裁判所において特別少年院送致の決定をうけ、同月一二日久里浜少年院に収容され、同五〇年二月二〇日少年院法一一条一項但書により同年八月八日まで収容継続されたことが認められる。
二 ところで、本申請によれば、本院生の資質の矯正がいまだ不十分であるというので、この点について考察する。
(1) 本院生は、前認定のように、幼少時から非行を繰返えす一方、中学校卒業後もほとんど定職をもつたことなく無為徒食、勝手気儘な生活を送るなどしていたため、遂に少年院に収容されるにいたつたことを考えると、その非行性は最早解放施設内での教育の限界を越えたものがあり、全く常習化、固定化していたことが窺われる。
(2) 本院生は、知的には普通域の能力があつて、社会生活上それ程問題があつたとは思われないが、その性格傾向をみるに、内向性、非社会性が目立ち、やや内閉的な知覚や思考がみられ、積極的、自主的に問題を解決しようとする意欲に欠け、挫折感を抱きやすく、情緒的に不安定で自信や自尊心を欠き、逃避的行動に走りやすく、依存心が強く、卒直に内心をひらこうとせず、欲求不満や内的緊張、不安などを高めやすく、対人接触では不信感、猜疑心をもち、協調的ないし共感的な関係の基盤に欠けるなど資質面にかなり問題点があるとみられた。
(3) かくて、本院生は前記のとおり、久里浜少年院に収容されて矯正教育をうけているものであるが、これまでなんらの事故や紀律違反を犯すたとなく順調に経過し、同年七月一六日処遇の最高段階である一級上に進級して現在にいたつていること、そして院内における本院生の生活態度、在院成績は可もなく不可もないとはいうものの、一応矯正教育の効果があがつていると評価してよいと思われる。しかしながら、本院生が幼少の頃から保護者の監督に服さず、無断家出、放浪のあげく前記のように再非行を繰返えし、かつ長年にわたり数か所の収容施設内で過すなどの生活体験を経てきたこと、そしてかかる生活体験を通して収容施設内における生活、過し方につき表面的に適応する能力を身につけていると思われる点が窺われること、その他本人の性格、行動傾向などを合わせ考えると、本院生のもつ犯罪的傾向がいまだ全く除去されたと断ずるにはいささか問題があるように思われる。それ故、本院生が前記のように一級上の最高処遇段階に達してはいるものの、まだ日が浅く、今後順調に経過するとしても、なお引続き相当の期間院内での矯正教育、とくに自主自律訓練、社会規範意欲の強化などに重点をおいた社会復帰のための出院準備教育を施し、社会適応性を体得させることが必要である。
三 次いで、本申請では、出院後における保護観察期間を見込んで収容継続を求めているので検討する。
(1) 本院生の出院後における帰住先について考えてみるに、本院生は、実父母が小学校五年のとき協議離婚(実母が本院生の親権者)したので、当時川崎市内に居住する実母の許に引取られて養育されることになつた。しかるところ、前記のように非行を繰返えして教護院送致次いで初等、中等の少年院送致となり、ここに関東医療少年院から仮退院する際には、当時実母が脳軟化症のため入院治療中であつた関係上、やむなく水戸市内に居住する実父の許に帰住したが、その数日後またまた非行を犯し、特別少年院送致となつて、本院に収容されるにいたつたこと、それ故、今回本院生が実父の許に帰住することになると、実父の許で真面目に働いている実兄の生活にも支障を生ずるであろうことと、本院生がまたまた非行を犯すのではないかと危惧するあまり、実父としては本院生が水戸市内の自分の許に帰住することには内心、消極的な意向であることが窺われること、また一方現に川崎市内に居住する実母は、本院生が出院後自分の許に帰住するここを望んでおり、その受入れには積極的な意向を示しているが、何分にも同人が現在脳血管障害、右上肢機能全廃という疾患のため、松葉杖をつく身体障害者(二級)であつて、今秋一〇月から一一月頃には右上肢切断の手術が予定されており、かつ生活保護をうけている生活困窮者であることなどを考えると、本院生の断住先を仮りに実母の許にするとしても、その受入れ態勢につき、今後調整困難な問題が残ると思われる。しかし本院生の意向や環境調整に関する水戸保護観察所長の意見を勘案し、この際川崎市内に居住する実母の許に帰住させるのが相当であると考える。
(2) 本院生は、前記心臓疾患のため、重労働に適しない健康保持者であるところから、将来調理士として身をたてたいと考え、院内においても調理に関する基礎的学習に努めているようであるが、実母の家庭環境が前記のとおりであつてその受入れ態勢は十分であるとは思われないし、もとより本院生の就職も定まつておらず、現にそのあてもなく、また本院生自身も就職の見通しをもたない実情にあること、本院生がこれまで自動車修理工として数か月程度稼働したのみでほとんど定職をもたず、少年院を仮退院後、前記のようにしばしば非行を反覆累行していることなど、その性格、行動傾向、環境にかんがみ、院内教育で開発された本人の自覚と自己抑制に一応の信頼をおくとするも、本院生の社会復帰後の行動に、なお一抹の不安が残るので、出院後、相当の期間専門機関による保護観察に付し、指導監督と補導援護をうけさせるのが相当である。
四 そこで、収容継続期間の相当性について考えるに、本院生の収容期間、家庭環境、出院後の受入れ態勢及び本人の収容教育に対する意欲と反省その他諸般の事情を斟酌し、本院生に対する院内での出院準備教育期間として二か月間程度、また出院後少なくとも三か年間程度の保護観察の期間が、それぞれ必要であると思料するので、結局本院生を同年八月九日から同五一年一月八日までの期間収容を継続するのが相当である。
五 なお、本院生は前記のように出院後調理士として身をたてたいと考えているようであるが、現に就職の見通しをもたないし、家庭においても本院生の就職あつせんの見通しすらたつていないこと、それに出院後における受入れ態勢を考えると、今後本人自身就職口を探し出すことは困難であろうし、実母としても本人に適当な就職のあつせんをすることもまた極めて困難と思われる。それ故、本院生の出院後における受入れ態勢及び家庭環境調整のための適切な措置を構ずることが必要であるし、本人自身の健康と性格、能力にふさわしい職がえられなければ、本人の社会復帰後の再犯を防止し、社会に適応させ、その更生をはかることもまた極めて困難であることが十分予想されるので、本人にふさわしい就職のあつせんのため適切な措置を構ずることも必要であると思料する。
六 よつて、収容継続につき、少年院法一一条二項、四項、環境調整措置につき、少年法二四条二項、少年審判規則三九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 高野平八)